漫画家やVtuberなどの "見られる側" が、"見る側" によって炎上したとき(かつバズっているとき)は「内輪じゃないんだぞ、誰でも見れるSNSでそんなこと言ったほうが悪い」。 読者や視聴者などの "見る側" が、"見られる側" に引用されるなどして炎上したとき(かつバズっているとき)は「晒し上げ、ファンネル飛ばし、犬笛」。 こういう風にSNS上では叩かれたりするわけだけど、この構造ってだいぶ興味深い気がする。 "見る側" が "見られる側" を品評するのは想定されているのだけど、その逆は想定されていないんだよな。  Steamの特定のレビューのスクショを投稿して制作者側が苦言を呈した時も似たような構造だった。 "見られる側" は活動者とかインフルエンサーとか大衆伝達者(造語)、送り手と言ってもいいんだけど、どうも流動的でないんだよね。 この立場は静的なもので、"見られる側" と "見る側" とにはグラデーションがあるはずなのにもう片方へ遷移しにくい。 "見る側" が "品評" してバズったとしても、"見られる側"としては扱われないんだよな あくまでも"見る側"のままなんだ。 ちなみに俺の意見としては、TwitterはコロッセオでバトルアリーナなんだからTwitter上の投稿に対して殴りかかられるのは所与の前提であり、そこに対する文句はナンセンスだと思う。 外界での振る舞いをスクショとかされてTwitter上で燃やされることに対しては文句言ってもいいと思う。