3年前にも言った通り、「国民が株式投資を積極的に行うようにする施策はまさしく「生産手段の社会化」」であり、そういう目線でNISAやらGPIFやら(あるいは日銀)を見るとなかなか面白い
会話
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- author @BD1pt0ZCnY
6/13/2026, 9:07:14 AM うーむ。Opus 4.8はGrokのタイプの手触りがあるな。あるいはChatGPTのmondayとか。 fable5はあんまり触る間もなく終わってしまった。 あくまでコーディングではなく会話ベースの感覚。 触れば触るほど、口が悪いことによる意外性や突飛さで膨らましているのと(これは話の内容にもよりそう。なんかChatGPTと違ってユーザへのリスペクトを良くも悪くもキープしない。舐められそうならとことん舐めてくる。)、ジャーゴンを多く知っていることで親近感をどんな相手でも湧かせやすいことが「良さ」の本質かな。パラメータ数の大きさは感じる。 Web検索をうまく活用できず、調査の方向性もあまりよくない。 舐めてくる性質のせいでどうも心理的安全性は微妙。道具として使うためには気を使う必要がある。LLMとしてうまく対応すればいけるけど、弱みを見せないようにふるまう必要があるように感じた。 とはいえこれは難しいところで、どう振舞ってほしいかをめちゃくちゃに忖度してくるってことであり、コントロールしやすく使いやすいという話でもある。このあたり、なかなか興味深くて、gpt-5.5のあのとんでもない指示追従性と一方で引きずられ過ぎず、一定のラインを維持する感じ。 Claudeの忖度のうまさと、一方でずけずけ来る感じ。 矛盾した振る舞いな感じがするけど、たぶん何か共通のエッセンスがあるんだろうな。
- っ @tw-1056871938377707520
2/28/2026, 12:08:32 PM RT @Tenert1120: 働かずにお金がもらえる方が良くない? あと国民が株式投資を積極的に行うようにする施策って、まさしく「生産手段の社会化」じゃない?
- author @BD1pt0ZCnY
2/11/2026, 10:45:27 AM 俺にとって哲学のほとんどの営みは特定の命題に対して解を与えるために意味を探ることであり、「意味を探る」とは「別の言い方で対象を言い換えることでなんらかの知見を得ること」だと思っている これはつまり翻訳と言い表すこともできるし、解釈の作業的側面と表現することもできる。 そしてこれはLLMの得意とすることでもある。 https://yaneuraou.yaneu.com/2026/02/11/yaneuraou-csharp-by-ai/
- っ @tw-1056871938377707520
12/10/2025, 6:00:19 PM RT @cicada3301_kig: つまり、「人間は大量の情報を体験するとワクワク感が消えるものであり、急性経過ではうつ病、慢性経過では老化に見える」みたいな解釈をすると、当たらずも遠からずというか、生物学的機序ではなく社会心理的にアリというか、何らかの本質をつかめている気…
- author @BD1pt0ZCnY
12/6/2025, 10:46:04 PM 後でもうちょい整理するかmo ### 漫画家やVtuberなどの "見られる側" は「内輪じゃないんだぞ、誰でも見れるSNSでそんなこと言うのが悪い」と叩かれ"見る側"によって燃やされる。 一方で、読者や視聴者などの "見る側" が、"見られる側" の投稿を引用するなどして炎上させたときは「晒し上げ」「ファンネル飛ばし」「犬笛」と非難される。 こういう風にSNS上では非対称な扱いがされるわけだけど、この構造ってだいぶ興味深い気がする。 "見る側" が "見られる側" を品評するのは当然の権利として想定されているのに、その逆は想定されていないんだよな。 以前、Steamのレビューのスクショを投稿してその内容を制作者が批判した時も「レビューを晒すな」とバッシングを受けていたけれど、あれも似たような構造だった。 "見られる側" は活動者とかインフルエンサーとか、いわゆる「発信者」と言ってもいいんだけど、どうもこの立場は流動的ではないらしい。 あたかも演劇の舞台のように、一度「客席」に座った人間は、どれだけ野次を飛ばして注目を集めても「演者」とは見なされない。あくまでも "見る側" の安全圏に置かれたままで、不可侵。本来SNS上においては "見られる側" と "見る側" にはグラデーションがあるはずで、舞台に上がってるかどうかなんて区別しようがないはず。でもどこか空気でその身分(クラス)が固定されている。 ちなみに俺の意見としては、その空気感は間違いで、Twitterはコロッセオでありバトルアリーナで、皆が平等にグラディエーターなんだと思っている。 Twitter上に投稿するということは、リングの上に立つということ。そこに対する反撃や文句は所与の前提でありナンセンス。たとえ相手が格上のインフルエンサーでも、リングの上に上がったなら誰だって殴られる可能性があるし、逆に一般人だからといって客席から安全に石を投げられると思うなよ、という話。 ただし、「外界での振る舞い」をスクショなどで持ち込んで、Twitter上で燃やすことに対しては文句を言ってもいいと思う。 Steamのレビュー欄や日常生活は、Twitterという「戦場」の外の話だ。 リングの上にいる相手を殴るのはルール内だが、外で見かけたからって殴ってはいけないのと同じ理屈だ。別の場所(文脈)で過ごしている人間を、無理やりリングに引きずり上げて殴るのはただの野蛮な行為だろう。Twitterが治外法権のバトルアリーナだとしても、そのルールを外の世界にまで適用してはいけない。 つまり何が言いたいのかというと、Twitterはゴミなので、俺みたいに自分でサイトを作ってブログもどきで石を投げるべきってこと。