杞人の憂という意味では今の杞憂の意味合いでも別に間違ってはいないと思う ただ、それはテーマの提示というか状況の類似の指摘として扱うべきで、その杞人の憂(そしてそれと同種のもの)にどう相対すべきか、どう扱うべきかは、杞憂という言葉から当然に結論が得られていると考えてはいけないよなーと