「○○が苦手だと△△をやるのは難しい」ってときに
→△△をやらない
よりも
→△△をやることを通して、○○が上手くなることを目指す
のほうが良いよなと思いつつ現状で得意なものの方に傾きがち
「○○が苦手だと△△をやるのは難しい」ってときに
→△△をやらない
よりも
→△△をやることを通して、○○が上手くなることを目指す
のほうが良いよなと思いつつ現状で得意なものの方に傾きがち
もう少し正確には、「追従よりも善解と善解することが妥当な賢さになった」と言うべきか
別の角度として、本当にフロンティア級LLMが賢くなっており、単なる迎合ではなくなってきている、という部分も新鮮さを感じているかもな つまり、考えが及ばなくてとりあえずのお追従、というわけではなく、どういう方向にもある程度の妥当性の射程がそもそも存在していて、先入観なく検討してくれるので、どういう立場でも理路を見つけてくる そして、めっちゃ賢くなっているので、その射程が思っていたよりも広がっている オーバーロードで言えばデミウルゴスのような感じになりつつある部分もあり
トップクラスのLLMプロバイダがwindowsよりmacに優先的に対応していくのを見ると、appleエコシステムへの引力はこれまで以上に大きくなるのかね。 そもそもwindowsに留まるべき理由が薄まりつつある流れがある気もするんだよね。linuxでダメなの?ってのがLLMの登場で強まりつつある。難しいコマンドは打てない? じゃあLLMにやらせればいい、っていうね。GUIよりもCLI、CLIより本当の対話型インターフェース(なんと呼ぶべきかわからない。エージェンテイックインターフェース、AGI? もちろんジョークだよ。もっとよい呼び方があるだろう。)へと傾斜していくだろう。 「いやいやlinuxなんて普及しないよ」って問いにはじゃあMacならLLMプロバイダは対応するよ、ってなっていくと真面目にWindowsを使うべき理由がない。 じゃあそもそもなんでMacOSに優先的に対応してるのかは全くよくわからない。なにかOSレベルで都合の良い部分があるんじゃない? 知らんけど。
Obsidianそのもののメリットというより、mdファイル群にメリットがあり、LLMに管理させるときに「どこどこのパスにmdファイル群があって〜」とか書くよりも「どこどこのパスにobsidian用の〜」とかいた方が意図の伝達ロスが少ないから採用する価値がある という理解 まあもちろん人間向けUIがあって嬉しい、という部分もあるわけだけど
高い支持率って結局のところ無謬という幻想をもとに生まれたものだから、どこかで方針転換とかそういうのをし始めた瞬間に一気に瓦解するんだと思う 俺なんかはむしろ君子豹変す、なんつって方針転換をするんだったら、それは正しいことだと思うんだけど、どうも多くの人っていうのはそうじゃなくて、間違った判断をし続けることよりも、判断が間違っていたと認めた瞬間に一気に心が離れるみたいなんだよね